World 真綿の世界 インタビュー 「テキスタイルの観点から」text:新井淳一
現在も制作の拠点として桐生を選ばれている理由、また、現在の生活とご近況をお聞かせください。
新井:僕が桐生にいるのは、生まれ育った地であること。絹織物の産地だから、織物に関する情報収集がしやすいということが基本ですね。たまたま僕も今意見を求められているんですけど、「織物の技術史と未来への展望」というテーマで桐生の織物を考える催しがあったり。桐生は、積極的なんですよ。織物に限らず、様々な文化事業に関してね。彫刻の展覧会などを開いても人口の6〜7%の人が集まる。文化的な活動にとても関心の高い所なんです。古い繊維に関する資料や世界の民族染織品を集めて、未来へ語りかける染織参考館を作りたい。これは、僕が以前から描いている構想なのだけれども。僕は桐生を拠点にしているから、存立していけるんだと思いますね。近況としては、いくつか展示会をひかえていますから、作品の制作活動が中心になっています。もちろん布作りのアイデアを得るために、海外へ出掛けたりもしていますね。先日もアメリカへ行って、HAND WEAVERS GUILD OF AMERICA(手織り職人の団体)の大会を見て来ました。これは2年に1回開催されるんですけど、今回は真綿で作ったショールがたくさん出品されていましたね。40年以上も続いている大会なんですけど、アメリカでは手織りに使う素材として、ウールよりも絹へのシフトがなされているといった話しはとても興味深いものでしたね。
真綿との出逢いのエピソードや、 素材としての 魅力などをお聞かせください。
新井:真綿との最初の出逢いは、3才頃かな。当時は、おばあちゃんが真綿で布団を作っていましたからね。我が家には真綿のベストがカラフルに何着もあって、家内も母も僕も冬になると愛用しているんですよ、毎年ね。暖かいし、しかも強い。これが一番の魅力ですよ、素材としては。テキスタイルプランナーとしても、僕は真綿にはかなりの思い入れを持っているんです。仕事で海外の美術館などを訪れる時も、おみやげは真綿で編んだベストと決めているほど。みんな宝物みたいに喜んで、大切にしてくれていますよ。日本のテキスタイルの観点からも、真綿は世界に誇れるものだと考えてますから。まるで真綿ベストの特派員みたいですよ、僕は。世界中の人にその存在を知らしめているわけですから。(笑)
「未来に広く愛される真綿の姿」を浮き彫りにしていただき、 そのために何をすべきか、ご意見をお聞かせください。
新井:僕は大塚テキスタイルデザイン専門学校の講師をしているんですけれど、今の人はデザイナーでも、真綿のことは知らないですからね。僕なんかは、真綿の糸を見ると染めて紡いで、服地を作ってみたくなるけれどね。そう、たとえば、学生たちに真綿を素材に布を作らせてみるという企画はどうだろう。「真綿によるテキスタイルコンテスト」だね。あと「真綿とキルト」とか「世界中の真綿を使ったコレクション」とか。広く一般の人にその魅力を知って貰うためのアイデアは、いろいろありますよ。日本はアメリカと比べて、ポスト・インダストリアル・クラフト・ムーブメントが非常に遅れていますからね。「日本人だったら、真綿を使え」って声を大にして、働きかけないといけない。本当、やりましょうよ。ぜひ。