World 真綿の世界 エッセイ 「まわたへの思い」text:佐藤愛子
まわたは、真綿と書くよりも、まわたと書く方がまわたらしくていい。
まわたという平仮名には、ふんわりと優しいぬくみがある。
間違ってもマワタとは書いてほしくない。
小学校の低学年の頃、同級生の腺病質の美少女が寒い日など、
まわたを細い頸のまわりに巻いて登校してくるのが、ほんわかとあたたかそうで、
いかにも「いいとこのお嬢さん」ふうに上品だった。
同じ組によく風邪をひく男の子がいたが、その子は頸に繃帯を巻いていた。
その美少女がまわたを巻いて遊びに来た時、我が家のお手伝いは、
「おばあさん育ちやからなあ・・・」と呟いた。
美少女のお母さんは胸の病でその前年に亡くなり、
彼女は、おばあさんに育てられていたのだ。
まわたで孫を守ろうとしているのが、
いかにもおばあさんらしいやり方だとお手伝いはいいたかったのであろう。
それで「まわた」というと、大事に大事にはぐくみ育てる、という連想が
私の中に定着した。
私の母はまわたの愛好家だった。
寒い時分の外出は、必ず羽織下用のまわたを背中に当てがっていた。
肩と背中に当てがっているだけで、まわたは独特のねばりで落ちずに
ひっそりと背中にくっついている。
「まわたはほんまにええもんです。かさばらんし、軽いも重いも、
着てるか着てへんかわからんのやもの。それやのにぬくい。こんなええもんはない」
と口癖のようにいっていたが、手伝いのミヨさんは、
「けど、わたしらみたいに手がカサカサに荒れている者は、
手に引っかかってどないもなりまへん」とこぼしていた。
母は晩年、丹前やちゃんちゃんこもまわたを入れて作っていた。
母が亡くなったのは私が四十八の年である。
母の形見として貰ったまわたのちゃんちゃんこを、冬になると私は着る。
それも少なくとも母は十年着ていた。
「これは最高のまわたを使うてるのや」
自慢げに母はいっていたが、今、七十歳になった私は、
今年の冬も多分そのちゃんちゃんこを愛用するだろう。